|
|
|
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 38 | 00:49:55〜00:50:20 | 00'25" | やや良/ナレーション | |||
| アデナウワー、議会、アデナウワー声明(肉声) | ||||||
|
1 | 02:23:40〜02:29:55 | 06'15" | 良好/サイレント | ||
| 議会、席につく議長、アデナウワー演説、他の高官、西独の経済、調印、会社、工場、西独軍、兵士 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1949年5月23日西ドイツの新憲法「ドイツ共和国連邦基本法」が公布され、ドイツ連邦共和国、通称西ドイツが誕生しました。米英仏3国によって占領されていた西ドイツ地区では前年の1948年占領地の統合と連邦政府の樹立が協議され通貨改革が実施されました。これに衝撃を受けたソ連はベルリン封鎖に踏切り、東ドイツは10月「ドイツ民主共和国憲法」草案を可決、東西両ドイツへの分裂が決定的となったのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
N-37 | 00:11:23〜00:00:57 | 00'34" | 良好/サイレント | ||
| 脱線した電車、悲しみの人々、遺体の断片集める | ||||||
| 映像サンプルナレーション 昭和24年7月15日国鉄中央線三鷹駅構内で無人の電車が突然暴走し近所の住民等6人が死亡20人が重軽傷という惨事が起きました。警察は国鉄労働組合三鷹分会の共産党員らの犯行として竹内景助ほか10名を逮捕しました。しかし東京地裁は竹内の単独犯行として竹内に死刑、他の9名は無罪という判決を下しました。この事件は当時激しさを増していた国鉄労組の人員整理反対闘争弾圧のための陰謀だとする説が現在も根強く残っています。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
N-37 | 00:12:02〜00:12:28 | 00'26" | 良好/サイレント | ||
| 転覆した列車、運ばれる遺体、見守る群衆 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 三鷹事件の1ヶ月後昭和24年8月17日、今度は東北本線松川駅近くで青森発上野行旅客列車が脱線転覆、乗務員3名が死亡しました。レールの犬釘29本が抜かれおり明らかに仕組まれた事故でした。警察は国鉄労組福島支部、東芝松川工場労組の共産党員ら20人を列車転覆の容疑で逮捕、1、2審とも有罪でしたが、作家の広津和郎氏らの国民的支援を受け最高裁で差し戻しとなり無罪となったのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
32 | 00:08:25〜00:10:10 | 01'45" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 中共軍渡河、南京陥落、解放/上海・引揚げる西洋人、船出航、解放軍パレード | ||||||
| 32 | 00:10:30〜00:11:05 | 00'35" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 成立祝賀式(1967)、毛沢東、幹部、周、毛ら、子供 | ||||||
| 10 | 19:20:10〜19:20:25 | 00'15" | 良好/ナレーション | |||
| 毛沢東、閲兵、解放軍パレード | ||||||
| 10 | 20:19:15〜20:19:30 | 00'15" | 良好/ナレーション | |||
| 毛沢東、握手、軍事パレード | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1949年5月の上海、続々と入城する中国紅軍兵士と本国へ引き揚げる外国人居留民。1946年以来3年余りにわたった中国内戦は膨大な農民層の指示を獲得した中国共産党軍の勝利のもとに終結しました。続く10月1日には首都北京・天安門楼上から人民政府委員会首席となった毛沢東が全世界に向け「中華人民共和国」の成立を高らかに宣言しました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
N-34 | 00:41:34〜00:53:17 | 11'43" | 良好/中国語ナレーション | ||
| 閲兵する蒋介石、広場に大群衆、反共演説する要人/飛行機を降りる蒋、閲兵する蒋、同乗する米軍将校ら/機械化部隊、戦車隊、兵の行進、閲兵台の蒋、蒋、要人のパレード/歓呼の市民、蒋の演説、大部隊の兵士/ | ||||||
| 32 | 00:11:40〜00:12:00 | 00'20" | 良好 | |||
| 大陸・台湾の地図、蒋介石閲兵 | ||||||
| 映像サンプルナレーション (初め5秒ナマ音生かし) 1949年12月10日、中国大陸での内戦に破れ台湾へ逃れた国民党総統蒋介石。20余年にわたる大陸支配に終止符を打たれ台湾に移転した国民党政権は以後大陸反攻を呼号し兵力の充実拡大に努めることとなります。しかし軍事力の圧倒的な差や国連での中国代表権の喪失など国際情勢の変化により大陸反攻のチャンスが訪れることはありませんでした。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 39 | 00:02:43〜00:03:33 | 00'50" | やや不鮮明/サイレント | |||
| オランダ・アムステルダムでの独立式典―式典、サインする女王、握手する女王と男 | ||||||
| 41 | 00:43:50〜00:44:50 | 01'00" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1956年のスカルノ大統領米国訪問―タラップを降りるスカルノ、ニクソンと握手、ダレスとニクソンとスカルノ、スカルノ閲兵、オープンカーにのってホワイトハウスへ、アイク出迎え、スカルノの息子と握手するアイク、その横にスカルノ、背後にインドネシア高官たち | ||||||
|
42 | 00:55:05〜00:56:25 | 01'20" | 良/ナレーション英語 | ||
| 1950年のスカルノ大統領米国訪問―タラップを降りる人々、同じくスカルノCU、手を振るスカルノ、歓迎の人々、タンカにのせられる人/オープンカー上のスカルノ、とりまく人々、バンザイの人々 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1949年12月27日、インドネシアがオランダの植民地から解放され独立を達成しました。前年の12月インドネシアの再植民地化を狙ったオランダ軍がジョクジャカルタを占領、しかしインドネシア国民の頑強な抵抗と国際的非難の前にオランダはインドネシアの独立を認めざるを得なくなったのです。1945年8月に独立を宣言した初代大統領スカルノが4年振りに首都へ帰還し、独立が名実共に達成されることとなったのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 22 | 00:09:45〜00:11:25 | 01'40" | 良好/ナレーション | |||
| 朝鮮の地図38度線、協議中の米軍、日章旗が降ろされ、復員する日本兵/ソ連高官、デモ、協議する両国、韓国学生のデモ、選挙、集会/要ナレーション確認 | ||||||
| 2 | 03:55:30〜03:55:50 | 00'20" | 良好/ナレーション | |||
| 地図、犠牲者CU、路上の犠牲者多数、泣く婦人、避難する人々、戦闘 | ||||||
| 10 | 19:21:20〜19:21:35 | 00'15" | 良好/ナレーション | |||
| 戦争―進撃する軍隊、夜間攻撃、狙撃兵、授勲、戦車 | ||||||
| 38 | 00:56:45〜01:00:30 | 03'45" | 一部不鮮明/サイレント | |||
| 1950年9月仁川上陸作戦―海を航行の米艦、砲撃、上陸準備、砲撃、ボートの米兵、上陸、仁川の町、建物破壊、マッカーサー、戦車、マ元帥前線視察、戦車砲撃 | ||||||
| 39 | 00:00:00〜00:02:25 | 02'25" | 一部不鮮明/サイレント | |||
| 1950年7月―空輸、飛び立つ飛行機、編隊、上空から山兵をみる、砲撃、撃墜されたパイロット、休む兵士、墓地、パレード(米旗) | ||||||
| 39 | 00:12:25〜00:14:55 | 02'30" | 一部不鮮明/サイレント/一部肉声 | |||
| 1950年7月―空輸、飛び立つ飛行機、編隊、上空から山兵をみる、砲撃、撃墜されたパイロット、休む兵士、基地、パレード(米旗) | ||||||
| 39 | 00:24:05〜00:25:35 | 01'30" | 良好/ナレーション | |||
| 1952年、北側のダム破壊―米軍作戦、砲撃、火炎放射器、戦闘機から空爆 | ||||||
| 41 | 00:19:25〜00:21:10 | 00'45" | 一部不鮮明/サイレント | |||
| 基地、前線の米兵、交戦、北の捕虜、同2人、食事をうけとる捕虜 | ||||||
| N-18-2 | 00:54:12〜00:54:49 | 00'37" | 良好/ナレーション | |||
| パナーム弾攻撃を行う米空軍、F. G | ||||||
| N-37 | 00:02:02〜00:09:09 | 07'07" | 良好/サイレント | |||
| 路上を行く米軍、燃える建物、死体、戦車(ナレーション消す)運ばれる負傷者、市街戦の米軍、死体、銃撃、空爆、虐殺された死体、死体の山(太原)、廃虚の京城、マッカーサー視察、進撃する海兵隊、炎上する戦車、炎上する街、肉親を死体群の中に探す婦人、路上の子供、死者の諮問をとる、避難民、米軍の埋葬ミサ、死体、進撃する米軍 | ||||||
|
N-59 | 00:11:21〜00:31:05 | 19'44" | 良好/ナレーション日本語 | ||
| 朝鮮半島の街、人々、子供、トルーマンとスターリン、道路に書かれた38度線、米ソ両軍兵士、米ソ会議、国連総会、韓国で選挙、李承暁政権成立、北鮮からの避難民、韓国の農民、農作業、1950.06戦争勃発、前線へ向かう韓国兵士、避難民の群、国連会議、国連安保理武力行使決定、米軍出動、各国軍韓国に到着、仁川上陸作戦、米軍と韓国民、京城奪回、敗退する国連軍、避難民、塹壕戦、1951.01北朝鮮―ソ反撃、避難民、1951.07休戦会談開始、板門店に入る両軍代表団、捕虜の大群、食事、傷病捕虜の送還、1951.07.27休戦協定成立、調印式、会場を出る代表団、復興にとり組む韓国国民、工場、農村 | ||||||
| N-11-2 | 00:33:32〜00:34:21 | 00'49" | 良好/サイレント | |||
| マッカーサーと幕僚、上陸する米軍、進撃する歩兵 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 38度線を挟み南北の対立が激化していた朝鮮半島で1950年6月25日午前4時戦争が勃発、北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国軍は直ちに開城など南の諸都市を占領、首都ソウルまで40キロと迫りました。同日、韓国政府は北朝鮮との間に全面的内戦が勃発したと発表、一方平壌放送は韓国に対し正式に宣戦を布告したと報じました。以後朝鮮戦争は冷戦下の東西両陣営の代理戦争として3年にわたる悲惨な戦いを続けることとなるのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
57 | 03:24:53〜03:26:23 | 01'30" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ハリウッド/エリザベス女王と握手するモンロー、多数の兵士に囲まれ前線到着のモンロー、モンローのショー、ディマジオとモンロー、アーサーミラーと結婚、タイムズスクエアのモンロー | ||||||
| 映像サンプルナレーション 映画「ナイアガラ」で一躍人気女優となった、マリリン・モンロー。この映像は1954年、ジョー・ディマジオと新婚旅行で日本を訪づれた際、その足で韓国駐留米軍を慰問したときの映像です。モンローはこの時から8年後の1962年、36才で急死しました。警察は死因を自殺と発表しましたがケネディ大統領とのスキャンダルを葬るための他殺説も根強く、その真相は未だに謎となっています。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 22 | 12:08:27〜12:09:10 | 00'43" | 良好/ナレーション | |||
| マッカーサー登場、握手、マッカーサー声明、警視庁全景、GIたち | ||||||
|
N-11-2 | 00:49:30〜00:54:40 | 05'10" | 良好/ナレーション日本語 | ||
| 隊員募集、分列行進、国会で論議、中曽根質問「憲法違反だ!」/マッカーサー解任、講和条約、日米安保条約読結、予備隊から安保隊へ、海上警備隊創設、吉田首相答弁 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 昭和25年8月10日、国内の治安警備を主目的とした「警察予備隊令」が公布施行されました。これは占領軍総司令官マッカーサー元帥が吉田首相に送った「日本警察力増強に関する書簡」に基づくもので政府はこれを受けて国や自治体に属する一般警察とは一線を画し、総理大臣の命に基づき行動するという「警察予備隊令」を制定したのです。これは憲法で軍隊を持つことが出来ない中での、再軍備の第1歩でした。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 10 | 20:10:25〜20:10:45 | 00'20" | 良好/サイレント | |||
| CHQ本部から出てくるマッカーサー、入口の日本人に帽子をとって答える、車にのりこむ、日米の小旗を振る小学生、車走りだす、そのあとを日本人が | ||||||
| 39 | 00:15:18〜00:22:00 | 06'42" | 良好/ナレーション、一部肉声 | |||
| 帰国―飛行機から降りてくる夫人とマッカーサー(夜)、カメラマンたち、手をふる歓迎の市民、韓国の小旗をふる少女、車で走る、“老兵は死なず”演説―議事堂内、拍手の中登壇する平服のマッカーサー、マッカーサー演説(肉声)、拍手する議員、演説(肉声)、立ち上がって拍手する議員たち、演説(肉声)、パレード、紙吹雪、オープンカーのマ夫妻、火災も、凱旋パレード、大群衆、紙吹雪 | ||||||
|
N-11-2 | 00:51:19〜00:51:46 | 00'27" | 良好/ナレーション | ||
| 閲兵後、帰国の途につくマッカーサー元帥 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 昭和26年4月11日、占領軍総司令官マッカーサー元帥があしかけ6年に亘る日本統治の任を解かれ日本を去りました。解任のきっかけは、台湾に拠る蒋介石の国民党政府軍を朝鮮戦争に参加させるべきだとするマッカーサーの書簡を共和党マーチン議員が議会で公開したことに、以前より朝鮮戦争の遂行方針を巡りマッカーサー元帥との不一致を取り沙汰されていたトルーマン大統領が激怒したものとされています。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
11 | 21:20:10〜21:31:00 | 10'50" | 良好/実況 | ||
| 代表者スピーチ(演壇で)アチソン長官、吉田茂スピーチ、アチソン調印書にサイン、ダレスら4人サイン、吉田サイン、後方に一万田の各全権と吉武、大野木ら、立会人と並ぶアチソン、吉田らと握手、式終了、カメラマン記者たちに囲まれた吉田ら/於・サンフランシスコ、米第6軍司令部プレシディオ | ||||||
| N-37 | 00:09:11〜00:09:52 | 00'41" | 良好/サイレント(音消) | |||
| グロムイコ、アチソン、拍手する人々、アチソン署名、吉田茂署名 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1951年昭和26年9月8日、連合国48ヶ国と日本との「対日講和条約」調印式がサンフランシスコのオペラハウスで行われました。調印するのは日本全権代表吉田茂首相です。中国は代表権をめぐる争いがあるとして招かれず、ソ連、チェコ、ポーランドは米英主導で討議を封じられたため調印を拒否し、新たな戦争のための条約であると激しく非難するなど、早くも日本が冷戦構造の一翼に組み込まれた姿を表すものでした。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
38 | 00:10:25〜00:11:50 | 01'25" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 悲しみの市民、遺体が運ばれる、悲しみの皇室、国葬、ウェストミンスター寺院、寺院内部、柩CU | ||||||
| 39 | 00:44:40〜00:47:20 | 02'40" | 良好/ナレーション、実況 | |||
| 市民集まっている、半旗をかかげる日の丸など各国旗(ジョージ6世の死)チャーチルなど、飛行機、中から女王、帽子をとる市民、ラッパ手、王城、市民CU | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1952年2月8日イギリス国王ジョージ6世が死去、56才でした。ジョージ6世は兄の前国王ジョージ5世が「王冠を賭けた恋」と騒がれたシンプソン夫人との結婚で劇的に退位したため、1936年12月に即位しました。第2次大戦中は空襲下のロンドンにとどまって市民を勇気づけ、1938年39年にはフランス、アメリカを訪問し連合国の同盟を強化する王室外交を展開しました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 35 | 00:54:40〜00:55:10 | 00'30" | 不鮮明/サイレント | |||
| 1951年反革命時の実力者バチスタ―バチスタ、市民にアピール、スピーチ、軍人らと3人で | ||||||
|
38 | 00:55:35〜00:56:35 | 01'00" | 良好/ナレーション | ||
| 市民集まる中を、軍隊、戦車出動、銃をもつ兵士たち、バチスタ演説、屋上の兵士たち | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1952年3月10日キューバで軍の実力者フルヘンシオ・バチスタが大統領に就任しました。バチスタは以前1933年にもクーデターを起こし後に大統領となっていますが、この時は教育、経済などで改革の腕をふるいました。しかし今度は国民が望む方向とは逆に政治的自由の停止、アメリカ大資本と結んだ一部大地主層と結託するなど暴力と腐敗の独裁政治を行い後のキューバ革命の要因となります。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
38 | 00:52:40〜00:55:25 | 02'45" | 良好/ナレーション | ||
| *ベルリン―メーデー集会、静然と、指導者と大群衆 *ニューヨーク―デモ行進―静然 *東京―中央集会、乱れる、警官に追われる男性、警官隊弾圧、騒乱殴打、ひっくり返される米自動車、焼ける自動車、つかまった参加者、負傷者 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 昭和27年5月1日、講和条約発効後最初のメーデーで参加者と警官隊との間で大規模な流血の衝突が発生、警官隊の発砲により2名が死亡、1300名が負傷する惨事となりました。メーデー会場として当時人民広場と呼ばれた皇居前広場が予定されましたが警察がこれを禁止、やむなく明治公園に変更された経過があり、憤激した参加者がデモ行進解散地点の日比谷公園から皇居前広場に移動しようとしたことがきっかけであったとされています。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 39 | 00:25:40〜00:26:55 | 01'15" | 良好/ナレーション | |||
| 走る男の彫像、駅、競技場を上空から、アメリカ選手たちCU、2人の日本人選手女性、食事、バス、ソ連兵、開会式前の選手たち | ||||||
|
39 | 00:35:40〜00:37:30 | 01'50" | 良好/ナレーション | ||
| 競技場、埋まる観衆、入場式、ハトが放される、聖火ランナー入場、一周、聖火台に点火 | ||||||
| 39 | 00:54:45〜00:56:25 | 01'40" | 良好/ナレーション | |||
| マラソン―グランドから外へ、トップ2人、ザトペック(?)CU、1着、倒れる人、陸上―女子リレー、喜ぶ選手、男子長距離、優勝者涙 | ||||||
| 映像サンプルナレーション (音声生音生かし) | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
39 | 00:27:05〜00:27:35 | 00'30" | 良好/ナレーション | ||
| クーデター成功―ナギブ将軍、人々大歓迎、抱きつく人々、ナギブの隣にナセル | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1952年7月23日エジプトで後に大統領となるナセルら自由将校団を名乗る若手将校グループがクーデターにより権力を掌握しました。革命軍事会議議長に第1次中東戦争の英雄ナギブ将軍が就任、国王ファールークは退位し亡命しました。植民地支配の継続を策すイギリスに対する弱腰や対イスラエル戦の敗北等の原因は腐敗した政治にあるとして、若手軍人を中心に民族主義的な反政府の機運がたかまっていたのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 39 | 00:22:08〜00:22:48 | 00'40" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 前年1951年の独立式典のペロン夫妻―トラックにのった人々、デモ行進、ペロン夫妻、集会式典 | ||||||
|
39 | 00:23:00〜00:23:55 | 00'55" | 良/ナレーション | ||
| 弔問にかけつけた人々の行列、次々に弔問に、泣く女性、柩、花、エビータの肖像 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1952年7月26日、ペロンアルゼンチン大統領夫人エビータ・ペロンが33才の若さで死去、死因は癌でした。女優出身のエビータは大衆に親しく語りかける個人的魅力と、貧民から身をおこしたサクセスストーリーで下層階級の偶像ともいわれる存在でした。婦人参政権の導入、最低賃金制や年金引上げなど労働者保護、福祉政策を積極的に推進しました。しかしエビータの人気に支えられたペロン政権は彼女の死後3年を待たず崩壊することとなります。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
42 | 00:19:09〜00:19:39 | 00'30" | 良好/ナレーション | ||
| 就任式―大参列者、宣誓するアイク、パレード、オープンカーのアイク、人々 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1953年1月20日アメリカ合衆国第34代大統領にドワイト・アイゼンハワーが就任しました。アイゼンハワーは第2次世界大戦を勝利に導いた連合軍総司令官として世界的に知られた軍人で、その率直な人柄が「アイク」の愛称とともに大衆に愛されました。民主党スティーブンソン候補を相手に戦った大統領選では48州531人の選挙人のうち39州442人を獲得して圧勝、20年振りの共和党出身大統領となったのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
2 | 03:38:47〜03:39:22 | 00'40" | 良好/ナレーション | ||
| 生前―ロシア兵パレード、閲兵のスターリンと将軍たち、党幹部ミコヤンなど、壇上のスターリンCU、ロシア兵 | ||||||
| 10 | 19:08:11〜19:08:21 | 00'10" | 良好/ナレーション | |||
| 生前―演説するスターリン | ||||||
| 42 | 00:19:45〜00:19:55 | 00'10" | 良好/サイレント | |||
| 赤の広場で閲兵するスターリンと将軍、スターリンCU | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1953年3月5日、4日前に脳出血で倒れ危篤状態にあったソ連首相スターリンがこの日午後9時50分死去73才でした。神のごとく崇められ、独裁者と罵られながら30年にわたってソ連に君臨したスターリンは、ドイツとの戦いに勝利をもたらし工業化に成果をあげた一方では大粛清、強制収容所、飢饉、強制的集団農場化などをもたらした元凶でもあったのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 24B | 00:08:37〜00:10:52 | 02'15" | 良好/サイレント | |||
| 中国で武装解除される日本軍人―引揚の船にのる旧軍人たち、出航、手をあげ検査される旧軍人たち、続々と | ||||||
|
39 | 00:27:45〜00:28:25 | 00'40" | 良好/ナレーション | ||
| 1953年再開第一陣―到着、子供と男手をふる、病人から下船、次々に下船する人々、女性たち、泣きながら出迎える人々、抱き合う家族 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 中国、台湾方面からの引揚げは終戦から1年余りで250万人を数えましたが、国共内戦の再開と国民党政府の敗北、台湾移転などの混乱した状況の中で、引揚げ業務は円滑に進まずストップした状態にありました。新生中国からの引揚げが再開されるのは、漸く昭和28年になってからのことでした。昭和28年2月23日に第1次帰国船が舞鶴港に到着、以後昭和33年の第21次まで合わせて3万5千人が帰国しました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
39 | 00:28:40〜00:35:25 | 06'45" | 良好/ナレーション、実況 | ||
| 英首相チャーチル、カナダ首相、マーガレット王女らの馬車列、バッキンガム宮殿を出てウエストキンスター寺院へ向うエリザベス女王の馬車列、沿道の大群衆、戴冠式の一部始終、見守る幼少のチャールズ皇太子、傍らの皇太后、宮殿に戻る馬車列、バルコニーから手を振る女王一家 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1953年6月2日、前年父ジョージ6世の後を享け即位したイギリス女王エリザベス2世の戴冠式が小雨降るロンドンのウェストミンスター大聖堂で行われました。式典には世界74ヶ国の代表が出席、日本からは天皇の名代として皇太子が参列しました。女王はこの日の夜、全国民に対しラジオを通じて「全精神を挙げて国民への奉仕に献身する」というメッセージを送りました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 39 | 00:37:40〜00:39:15 | 01'35" | 良好/ナレーション、肉声 | |||
| 休戦なる―前線視察、共産側代表、米将官、アイク声明(肉声) | ||||||
|
39 | 00:49:00〜00:50:25 | 01'25" | 良好/ナレーション | ||
| 休戦なる―停戦会議の建物、米将官入場、共産側代表、調印する両代表、出てくる米代表、カメラマン | ||||||
| 39 | 00:53:00〜00:53:30 | 00'30" | 不鮮明/サイレント | |||
| 1954年のPUSAN―荒涼たる風景、破壊された建物 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1953年7月27日、1950年以来3年余にわたった朝鮮戦争はこの日38度線南5キロの板門店で国連軍代表ハリソン中将と北朝鮮軍南日大将が休戦協定書に調印し終結しました。東西両陣営の争いが招いたこの戦争で、韓国は民間人100万余を合わせ約150万人、米軍5万4千人米軍以外の国連軍3千人、北朝鮮、中国軍側で200万人など死者の数は総計400万人にも及んだのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
39 | 00:39:40〜00:44:20 | 04'40" | 良/ナレーション、実況 | ||
| 1954年3月1日の実験―上空から、実験地、準備する作業員、将官たち、観測する人々、覆面する、爆発、キノコ雲、ヘリ、上空から、ビキニの海辺、艦船、水爆実験のアニメ(影響圏)、キノコ雲 | ||||||
| 映像サンプルナレーション (音声生かし) | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
39 | 00:50:30〜00:51:45 | 01'15" | やや良/サイレント | ||
| ジュネーブ条約調印、ベトナム代表団、同調印署名、サインCU、握手、記者会見するアイクとマクナマラ | ||||||
| 39 | 00:52:00〜00:52:50 | 00'50" | やや不鮮明/サイレント | |||
| 1954年、後半の戦闘―上空から、握手するベトナム人 | ||||||
| 39 | 00:56:45〜00:58:25 | 01'40" | 良好/ナレーション | |||
| ディエンビエンフー陥落―飛行機飛び立つ、上空から、空爆、米パイロット、ヘリ、負傷者(ディエンビエンフーの)タンカで運ばれる、病院で治療をうける患者 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1954年7月20日、9年間にわたったインドシナ戦争の休戦協定調印式がジュネーブで行われました。フランス軍の戦略拠点ディエンビエンフーがヴェトミン軍の猛攻で陥落し、この事態にフランスは休戦せざるを得なくなったのです。「フランス軍の10倍の犠牲を出すとしても勝利するのは我々だ」と言ったホー・チ・ミンの予言は的中しました。この戦争でフランス兵9万5千とベトナム人130万人が命を失いました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 39 | 00:53:30〜00:54:20 | 00'50" | 不鮮明/サイレント | |||
| ラクダ、仏軍町へ、アラブ人をとり調べる仏兵士(1954) | ||||||
| 41 | 00:15:05〜00:16:10 | 01'05" | 良好/ナレーション | |||
| 1956年5月の蜂起―仏軍の捕虜になったアルジェリア人捕虜、町中で弾圧されるアルジェリア人、アルジェリア人2人CU、建物内部爆破されている、死んでいる羊 | ||||||
| 58 | 04:25:47〜04:26:44 | 00'57" | やや不鮮明/ナレーション英語 | |||
| アルジェリアの街、市街戦、仏軍兵士に捕われた捕虜たち | ||||||
| 57 | 03:14:30〜03:15:20 | 00'50" | 良好/ナレーション英語 | |||
| アルジェリアの街、仏軍厳戒、検問、鉄条網で道路封鎖 | ||||||
| 58 | 04:46:41〜00:47:44 | 01'03" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 街頭のバリケード、仏軍パラシュート部隊、トラックの隊列、街の情景 | ||||||
|
59 | 05:47:34〜05:49:28 | 01'54" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ドゴール、アルジェリア訪問、歓迎陣に囲まれるドゴール、反仏デモ暴動化、市街戦、バリケード戦、投石、火炎ビン、装甲車を先頭に警官隊の襲撃、逮捕される市民 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1954年11月1日、120年余りにわたるフランスの植民地支配に対する戦いがアルジェリア全土で始まりました。アルジェリアでの民族解放闘争は9年前の反乱を最後に鳴りを潜めていましたが、ベトナムでのフランスの敗北など解放闘争の高揚の中で新たにアルジェリア民族解放戦線が結成され、フランスに対する民族解放闘争が宣言されたのです。しかしフランス政府は100万人に及ぶフランス人入植者の権益擁護のため徹底的な弾圧政策をとったため戦いは以後7年間にわたって続くこととなります。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
2 | 03:07:50〜03:08:30 | 00'40" | 良好/ナレーション | ||
| アインシュタインの家、アインシュタインと男、アインシュタインCU、アインシュタインの肉声 | ||||||
| 2 | 03:30:55〜03:34:10 | 03'15" | 良好/ナレーション | |||
| アインシュタイン、パイプをくゆらしている、数式、本、物理実験、山荘で憩うアインシュタイン他 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1955年4月18日、アメリカの理論物理学者アインシュタインが死去、76才でした。アインシュタインは1913年ベルリン大学教授となり、物理学に革命をもたらした「相対性理論」を完成、1921年ノーベル賞を受賞します。しかしユダヤ人であるためナチスよってドイツを追われ米国プリンストン高級研究所に迎えられます。核兵器と戦争の廃絶を死の直前まで訴えた平和主義者としても知られています。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2 | 03:40:25〜03:44:10 | 03'45" | 良好/ナレーション | |||
| 東欧の町、東欧の人々、荷馬車の人々、投票する人、ポーランド軍、ルーマニアなど東欧の軍事パレード、スターリン拍手する、戦闘機/チェコ―町俯瞰、パレード、オープンカー、チェコ首相、モトロフ署名、それを眺めるスターリン、オープンカーでパレード、軍隊、チェコ首相ヤン・マサリクの死 | ||||||
|
10 | 19:13:40〜19:18:10 | 04'30" | 良好/ナレーション | ||
| 赤の広場のパレード、スターリンCU、大砲CU、東欧に各首相CU、戦車などパレード、地図、スターリン演説、拍手する人々、各国、中国の風土等 | ||||||
| 10 | 00:18:05〜00:19:00 | 00'55" | 良好/ナレーション | |||
| 東欧地図、軍事パレード | ||||||
| 12 | 00:01:40〜00:02:55 | 01'15" | 良好/ナレーション | |||
| 東欧地図、列車、プラットホームで調印する2人、ポーランドなど首脳、スターリンと、ルーマニア代表訪ソ、モロトフ調印 | ||||||
| 映像サンプルナレーション モスクア赤の広場のメーデーパレードを見守る東欧諸国の首脳達。アメリカ西ヨーロッパ諸国のNATO北大西洋条約機構に対抗して、1955年5月14日ソ連、東ヨーロッパ8ヶ国はワルシャワ条約に調印、ワルシャワ条約機構が成立しました。すでに西ドイツはNATOに参加しており、東ドイツがこのワルシャワ条約機構に参加したため東西両ドイツの分断は決定的となり冷戦構造はより一層深まることとなったのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 41 | 00:17:15〜00:19:10 | 01'55" | 良好/ナレーション | |||
| ジュネーブ到着/ジュネーブの町、空港、降りたつイーデン(英)CU、同アイク、フォー(仏)、ブルガーニン、会場の建物 | ||||||
|
41 | 00:40:30〜00:41:30 | 01'00" | 良好/ナレーション | ||
| 会談場にのりつける車、ブルガーニンとフルシチョフら、アイクとダレス、会議―フルシチョフ、イーデン、アイクなど、アイク見学(おもちゃ工場) | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1955年7月18日スイスのジュネーブで開かれた米英仏ソの4巨頭会談。NATOとワルシャワ条約機構の厳しい東西対決を背景としながらも、アイゼンハワー米国大統領、ブルガーニンソ連首相、イーデンイギリス首相、フォール仏首相の4首脳は軍拡とりわけ核開発競争は人類破滅につながるという共通認識のもとに軍備縮小で世界平和を目指すことで合意し、東西雪解けの第1歩として大きく評価されることとなりました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
N-6-2 | 11:18:33〜11:21:25 | 02'52" | |||
| 歌声メーデー、関鑑子女史、レーニン平和賞受賞、野坂参三、鈴木茂三郎 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 昭和20代後半から30年代前半にかけ、労働運動、平和運動の高揚と相俟って“歌声は平和の力”を合い言葉とする歌声運動が全国各地に広まりました。歌声運動の中心を担ったのは関鑑子女史の率いる中央合唱団で労働組合や職場サークルから始まりやがて大学、高校などから一般大衆へも浸透し、都会には「歌声喫茶」「歌声酒場」が出現、「カチューシャ」などのロシア民謡や「原爆許すまじ」「しあわせの歌」などが流行しました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
39 | 00:58:30〜00:59:15 | 00'45" | 良好/ナレーション | ||
| 砂川基地闘争―反対派の中で杭打ち、警官に対しスクラムを組む女性ら、もめる両者、ゴボウ抜きされる人々、負傷者 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 昭和30年11月、政府は米軍立川基地砂川町拡張予定地の測量を警官隊1000人を動員して強行し反対派と衝突、多数の怪我人を出しました。当時日本にあった米軍基地の数は飛行場44、演習場79を合わせ733施設に上ります。基地問題は復興の軌道に乗りつつあった日本にとって重い課題となり、反基地の闘いはやがて反安保闘争の高揚へとつながっていきます。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
41 | 00:16:20〜00:16:50 | 00'30" | 良好/ナレーション | ||
| 1956年4月婚約発表―(ニューヨーク)婚約発表―おしかける記者たち、マイクの前に立つグレース・ケリー(肉声)、質問に答える、船旅へ | ||||||
| 42 | 00:35:00〜00:35:20 | 00'20" | 良好/ナレーション | |||
| 客船モナコ入港、ケリーCU、結婚式―ケリー花嫁姿CU、大公CU、ケリーCU | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1956年4月18日、映画「喝采」で主演女優賞に輝いたアメリカの映画女優グレース・ケリーがモナコ大公レーニエ3世と結婚、現代版シンデレラ物語として世界の話題を浚いました。これはグレース・ケリーの記者会見の様子です。二人の結婚は、前年の4月にカンヌ映画祭で出会い、同年のクリスマスにレーニエ大公がアメリカを訪問、翌年1月5日には婚約を発表するというシンデレラ物語に相応しい電撃的な展開でした。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
N-34 | 00:14:06〜00:26:59 | 12'53" | 良好/ナレーション | ||
| 売春地帯レポート/逆さクラゲ、化粧する女たち、通りで客を引く、「ぬけられます」看板、性病発病率、吉原病院、売春婦の末路、精神病院の女たち、遊女の葬られた寺、遊女の墓、湿地帯、遊女絵、明治大正期の吉原、過去帳、しののめのストライキ、GHQ覚書、国会議事堂、廃婦運動、売防法制定要求集会、街頭行動、売春婦の組合結成、業者IV、24国会、売防法可決、婦人議員演説、鳩山一郎議長、可決、集団廃業した例、業者IV、下宿屋になった置屋、女たちのスナップ | ||||||
| N-34 | 00:27:17〜00:33:42 | 06'25" | 良好/ナレーション | |||
| 売春Gメン取締り、女たちを検挙、取調べ、検事会同、山谷旅館街、売春婦は泊めないの看板を出す、相談所へ逃げてきた芸者、事情聴取、売春汚職、自民党真鍋代議士、売防法2ヶ月後の売春地帯、旅館監視、刑事たち、出動前の売春Gメン会議、手入れ出動、街娼検挙、旅館主人検挙、警視庁での取調べ | ||||||
| 映像サンプルナレーション 昭和34年5月21日、第24国会で売春防止法が満場一致で可決されました。 (以下オリジナル音声) | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 41 | 00:42:50〜00:43:45 | 00'55" | 良好/ナレーション | |||
| 対英市街戦―キプロスの旗ひるがえっている、市中での荷物検査(乳母車まで)、英兵士地市中を走る、通りの向こうから投石するキプロス人、英兵銃をもつ、探索、捕らえられた市民、服装検査をうけるキプロス男性、同連行 | ||||||
|
42 | 00:21:40〜00:22:35 | 00'55" | 良好/ナレーション | ||
| 1956年5月のデモ暴動化―デモ隊近づく、高校生のデモ、投石、発煙筒、英兵駆けよる、ジープ焼きうち、負傷した英兵 | ||||||
| 映像サンプルナレーション トルコの南60キロにある地中海の島キプロスは1914年以来イギリスの植民地でしたが1956年になるとイギリスからの独立をめぐって、ギリシャとの統合を主張する多数派のギリシャ系住民と少数派トルコ系住民の間で対立抗争が繰り返されました。1959年、ギリシャ系住民の指導者であるギリシャ正教会のマカリオス大主教が、独立後ギリシャとの合邦や領土分割をしないことに合意し初代大統領に就任しました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 40 | 00:57:25〜00:58:20 | 00'55" | 良好/ナレーション | |||
| 1958年2月シリアと連邦をつくる―ナセルとシリア首脳、オープンカーで、歓迎の人々、モスク寺院に参るナセルとシリア首相、同署名、CU | ||||||
| 11 | 22:20:00〜22:20:45 | 00'45" | 良好/サイレント | |||
| フルシチョフと会見するナセル、フルシチョフ握手、フルシチョフ、エジプト高官と次々に握手、ナセルとフルシチョフCU、会談、ナセルとナギフら、市中全景、市内の光景(1958.4) | ||||||
|
41 | 00:13:15〜00:13:50 | 00'35" | 良好/ナレーション | ||
| 1956年7月、スエズ運河国有―ナセル、演説、ナセルCU、国有化された運河、運河航行する客船 | ||||||
| 41 | 00:14:00〜00:14:50 | 00'50" | 良好/ナレーション | |||
| 1956年7月軍事パレード―パレード、見学の人々、パレード、ナセル閲兵、ソ連製の戦車、大砲など | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1956年7月26日エジプトのナセル大統領はアレクサンドリアで行われた革命4周年の記念演説でスエズ運河の国有化を宣言しました。東西冷戦の中で第三の道を取るナセルに対し、米英両国が進行中のアスワンハイダム建設資金の借款供与を白紙にもどしたことに対する報復措置でした。衝撃を受けたイギリスとスエズ運河会社の実質オーナーであるフランスは武力干渉に走りスエズ動乱へと発展することになります。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 40 | 00:58:35〜00:59:35 | 01'00" | 良好/ナレーション | |||
| 動乱―国境警備の兵士、穴のあいた国旗、ソ連のモザイク(壁)をけずりとる男、そのCU、市民火炎ビンを作る、医薬品物資(米側から?)でも、柩をかついだデモおごそかに | ||||||
| 41 | 00:07:00〜00:09:00 | 02'00" | 良好/ナレーション | |||
| 動乱後のハンガリー―市民と兵士、郊外のソ連戦車破損している、ナジ、かくし撮り―市内の模様、破壊された町並、乗物も、葬儀、参列者、ローマの抗議行動―デモ、首吊り人形、警官出動、逃げる市民、階段での乱闘 | ||||||
| 41 | 00:53:30〜00:54:10 | 00'40" | 良好/ナレーション | |||
| 亡命ハンガリー人―亡命する人々、自転車、馬車で、ソ連兵(ポーランド?) | ||||||
|
42 | 00:10:45〜00:11:35 | 00'50" | 良好/ナレーション、実況 | ||
| 1956年10月の市街戦―戦車が砲撃、銃撃戦、燃かれる旗など、国境を越えるハンガリー人、悲しみの老女たち、アヒルも | ||||||
| 42 | 00:37:15〜00:37:55 | 00'40" | 良好/ナレーション | |||
| ソ連のモザイクをけずりとる男(同VOL40)戦車砲撃(同上)亡命する人々、悲しみの婦人(同上)野原の中から肩車の父子が亡命、亡命者たち | ||||||
| N-17-1 | 00:02:36〜00:06:05 | 03'29" | 良好/ナレーション | |||
| 燃やされる文書、赤旗を燃やす、街頭に転がる死体、銃撃戦、救護班、戦車に鈴鳴りの人々、破壊されたビル、街並み、ソ連兵、警察の死体、病院に収容された負傷者、動乱後の街の生活、オーストリアへの避難民、給食を受ける人々 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1956年10月23日ハンガリーの首都ブタペストで、政府に対し「駐留ソ連軍の撤退」「解任されたナジ前首相の復帰」「自由選挙」など16項目を要求して行われた学生、労働者ら10万人の大衆デモは取締にあたった治安警察の発砲で暴動化し、またたくまに大衆蜂起へと一変しました。反乱は全土に広がり各地に革命委員会が成立、革命は成功するかに見えましたが、大規模なソ連軍の侵攻で再び自由への希望は打ち砕かれてしまったのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 40 | 00:59:45〜01:00:40 | 00'55" | 良好/ナレーション | |||
| イスラエル側より―イスラエル首脳たち、イスラエル軍パレード、兵士、ジープ、閲兵のイスラエル首脳、女性部隊他 | ||||||
| 41 | 00:04:35〜00:06:55 | 02'20" | 良好/ナレーション | |||
| スエズ運河、航行中の客船、ナセル記者に囲まれる、ナセルCU、仏軍マルセイユ港積荷、運河、飛行機にのりこむ英軍兵士、英仏海空軍、艦隊、戦闘機CU、ホワイトハウスのアイクとダレス、アイクの声明(肉声)、国連議会 | ||||||
|
42 | 00:38:00〜00:39:47 | 01'47" | 良好/ナレーション、実況 | ||
| 運河を航行中の貨物船、ナセル、エジプト軍前進、砂漠での戦死者たち、艦隊と戦闘機、パレシュート降下、下船する兵士、海につかりながら岸まで歩く兵士たち、岸の黒煙、炎上する建物、破壊された町中、国連のダレス、ハマーショルド飛行機に、米軍行進、大歓迎の人々、アイク声明(肉声) | ||||||
| 11 | 22:13:45〜22:16:00 | 02'15" | 良好/サイレント | |||
| エジプト軍、将軍CU、群衆歓呼する、アスワンダム(?)建設途上、人海、トラクターなど、お祈りする人々、モスク、貧しい家屋、農作業する人 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1956年10月29日イスラエル軍がエジプト領シナイ半島に侵入、第2次中東戦争が始まりました。この戦争はスエズ戦争とも言われ、この年7月ナセルエジプト大統領がスエズ運河の国有化を宣言したことに対し武力干渉を決意した英仏両国が、先ずイスラエル軍を侵攻させ、その後イスラエル軍とエジプト軍の間に緩衝地帯を設けるとの口実で英仏両国軍により運河地帯を占領しようと目論んで始まった戦争でした。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
37 | 01:00:17〜01:01:11 | 00'44" | 良好/ナレーション | ||
| 独立祝賀式典、会場、ニクソン米副大統領参列、民族踊り、エンクルマ首相CU、軍事パレード、美女コンテスト、ミス・ガーナ | ||||||
| 41 | 00:56:54〜00:57:31 | 00'37" | 良 | |||
| 中国訪問のエンクルマ大統領、北京市内、スタジアム大会、周恩来、劉らとエンクルマ | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1957年3月6日アフリカのイギリス植民地ゴールドコーストがガーナ共和国として独立を達成、初代大統領にエンクルマが就任しました。ガーナ共和国誕生を機にサハラ以南のアフリカ各地でヨーロッパ支配から脱し独立が続きます。カカオと金を主要産品とし、比較的経済基盤の強固なガーナは、独立を達成しながらも植民地後遺症に苦しみ産業化以前の状態にあった新生アフリカ諸国の希望に満ちたモデルとなったのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
37 | 00:59:19〜00:59:58 | 00'39" | 良好/ナレーション英語 | ||
| ヨーロッパ共同市場(EEC)及び原子力共同体(EORATOM)条約調印/欧州六ヶ国代表ローマで調印―各国代表の顔、会談、調印にサインする各国代表、報道陣 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1957年3月25日ローマ市役所のホールでヨーロッパ共同体通称EECとヨーロッパ原子力共同体を設立するためのローマ条約の調印式が行われました。調印式にはフランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグの6ヶ国外相が出席しました。EECはヨーロッパ経済を制度的に統合しその上に立って将来的には政治的統合を実現しようというもので現在のヨーロッパの礎を築くものとなりました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
40 | 00:55:40〜00:57:15 | 01'35" | 良好/ナレーション、実況 | ||
| エクスプローラー1号打上げ―打上げ基地、エクスプローラー尖端から下まで全体、模型ロケット、発表する3人、発射準備!ゼロ!発射、点になっていく | ||||||
| 41 | 00:49:20〜00:50:20 | 01'00" | 良好/ | |||
| ロケット失敗例―ロケット飛行→失敗、打上げ失敗(墜落)、ロケット手前で失敗、打上げすぐに失敗、打上げ飛行成功 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1958年1月31日アメリカは人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げに成功します。前年10月にスプートニクを打ち上げたソ連に先を越されたアメリカにとってはまさに国家の威信がかかった打ち上げでした。エクスプローラーは全長2メートル余、直径は15センチ、搭載機器の重量は8、2キログラムで80キログラムのスプートニクの10分の1に過ぎず、その点ではソ連に大きな差をつけられていました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
40 | 00:57:21〜00:58:21 | 01'00" | ナレーション | ||
| 1958年2月シリア―エジプト連邦/ナセルとシリア首相オープンカーでパレード、歓迎の人々、モスクを訪れる、ダマスカスとカイロ、アラブ諸国首脳、調印式/アラブ連合共和国 | ||||||
| 59 | 05:58:38〜05:58.58 | 00'20" | 良好/ナレーション英語 | |||
| フルシチョフと握手するナセル、クレムリンで演説するナセル、シリア―エジプト連合支持のデモ | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1958年2月21日、エジプトとシリアにおいて両国が合邦し「アラブ連合共和国」を樹立することの賛否を問う国民投票が行われ、それぞれ99%を越える国民の圧倒的な支持を得て新しい統一国家「アラブ連合共和国」が正式に成立、初代大統領にエジプト大統領ナセルが就任しました。アラブ連合の成立は、東西対立の中で西側諸国の思惑に打撃を与え“アラブ大連合”“積極中立主義”の勢力を強めるものとなりました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
40 | 00:54:40〜00:55:25 | 00'45" | 良好/ナレーション | ||
| モスクワ市内、レーニン彫像前で選挙投票する人々、投票するミコヤン、同フルシチョフCU、カメラを向ける少年、ブルガーニンも投票、市民、ブルガーニン辞職 | ||||||
| 41 | 00:03:45〜00:04:20 | 00'35" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 首相就任(1958.3)―ソビエト最高会議幹部会、会議場全景、幹部席、挙手する幹部たち、拍手で起立するフルシチョフ、フルシチョフ演壇でスピーチ | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1958年3月27日ソ連ではブルガーニン首相が解任されフルシチョフ共産党第一書記が首相を兼任することになりました。1956年のソ連共産党第20回大会におけるフルシチョフのスターリン批判は世界に衝撃を与え、とりわけスターリン主義者が支配する東欧各国ではポーランドの政変やハンガリー動乱などを引き起こしました。非スターリン化を進めるフルシチョフは首相を兼ね権力を集中して世界の表舞台への登場を図ったのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
N-11-2 | 00:30:56〜00:32:29 | 01'33" | 良好/ナレーション日本語 | ||
| モスクワ赤の広場、軍隊分列行進、観閲台のナセル、フルシチョフら/中国天安門前、行進する人々、毛沢東ら要人、夜の天安門 | ||||||
| 映像サンプルナレーション (オリジナル音声) | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
40 | 00:48:55〜00:51:40 | 02'45" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 就任、支持の市民デモ―パリ市民のデモ、3色旗を振る男、デモの波、ド・ゴール支持の幕をもって行進、プラカードも、メンデル・フランス(?)先頭CU、官邸―記者たち、夜のデモ“ビクトリー”、凱旋門、ド・ゴール現れる、ド・ゴール、カメラマンに囲まれる、議会、ド・ゴール就任演説、拍手! | ||||||
| 41 | 00:10:35〜00:12:10 | 01'35" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ド・ゴール、アルジェリア訪問(6月)―アルジェの大群衆(上空から)オープンカーでパレード、紙吹雪、編隊、ド・ゴール演壇で両手をあげる、少女がド・ゴールにキス、再びオープンカーに | ||||||
| 59 | 05:57:46〜05:58:20 | 00'34" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 記者会見に臨むド・ゴール、アルジェリア訪問、オープンカーでパレード | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1958年フランスの植民地アルジェリアで激化する独立運動に危機感を募らせたフランス人入植者達が反乱を起こし植民地政庁を占拠しました。内戦の予感におびえたフランス政府は第二次大戦の英雄ド・ゴール将軍の出馬を要請、同年6月1日ド・ゴールは新憲法の制定を条件として首相に就任しました。さらにド・ゴールは新憲法のもとで大統領となりフランス第五共和制を発足させたのです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
59 | 05:58:51〜05:59:18 | 00'27" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 国王ファイサル2世とアブドゥル・イラー皇太子の馬車パレード、ヌーリサイド首相(?) | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1958年7月14日、この日早朝イラクで青年将校グループによるクーデターが勃発、国王ファイサル2世、ヌリー・サイード首相らが殺害され、カセム准将を首相とするイラク共和国樹立が宣言されました。クーデターの背景は王制への反発とアラブ民族主義への共鳴でした。このクーデターは中東で数少ない親ヨーロッパ国を失うことを意味し、イラクの石油に依存する国々へ大きな脅威を与えるものでした。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
11 | 22:17:10〜22:19:55 | 02'45" | 良好/サイレント | ||
| レバノン革命―銃をもつレバノン人、新聞、首相演壇に、演説、ナセルをマンガ化(女装)したポスター、国連会議、コブシをふりあげるアラブ人、建物で炎上、戦車、市街戦、路上の死者、負傷者、デモ、国境、警備兵 | ||||||
| 11 | 22:20:45〜22:21:30 | 00'45" | 良好/サイレント | |||
| 艦隊、レバノン空港に米機、降りてくる米兵、ヘルメットとベレーの兵士たち、ラクダ | ||||||
| 41 | 00:44:55〜00:45:50 | 00'55" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1958年7月の内戦―ベイルート危機―に米軍介入―トラック船へ(米軍)、米兵も乗船、米兵下船、上陸 | ||||||
| 41 | 00:45:55〜00:46:43 | 00'48" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 1958年6月―反乱軍取り調べ、検問、市街銃撃戦、通りにバリケード、レバノン人、銃をもつ兵、殴られる男、バリケード、戦車、パトロールする米兵 | ||||||
| 59 | 05:59:19〜06:00:00 | 00'41" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 上陸する米海兵隊、弾薬揚陸作業 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1958年7月15日レバノンではシリアを後盾とするアラブ民族主義の陣営と親西欧の首相シャムーン派が内戦に突入しました。中東ではエジプト、シリアによるアラブ連合共和国の発足を契機にナセルの唱える左翼的アラブ民族主義の波が全土を覆い、各国で劇的な政変が起きていました。ナセル主義のレバノンへの波及に危機感を抱いたアメリカは1万人の海兵隊をレバノンに派遣、紛争各派の調停に乗り出しました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
59 | 05:56:38〜05:57:07 | 00'30" | 良好/ナレーション英語 | ||
| 航行するノーチラス号、同艦内、北極氷原、艦長、浮上航行 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1958年8月3日アメリカの原子力潜水艦ノーチラス号がこの日潜航のまま北極点を通過しました。ノーチラスは北極点通過後8月5日グリーンランドで浮上するまでの1830カイリ、96時間を氷の下の潜航を続けたことになります。ノーチラスの成功は慣性航法装置など新しい科学技術の勝利と北極圏がアメリカの作戦区域となったことを意味し対ソ戦略上大きな影響をもたらすものでした。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
59 | 06:01:29〜06:02:15 | 00'46" | 良好/音声一部不良 | ||
| 戦前のピウス12世、バチカン前に集まった人々、教皇の遺骸に別れを告げる信徒、新教皇ヨハネ23世、信徒に祝福を与える | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1958年10月9日ローマ法王ピウス12世が死去、82才でした。ピウ12世は63才で法王に選ばれる前の3年間は法王庁枢機長官を勤めました。第二次大戦中はその雄弁と政治手腕で平和活動を行い、戦後はイタリア左翼勢力の伸長に対抗してカトリック宗団を率いて反共政治運動に積極的に乗り出しました。ピウス12世の後を継ぎ新法王にヨハネ23世が選ばれました。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
|
59 | 05:56:11〜06:02:15 | 06'04" | 良好/ナレーション英語 | ||
| *米人工衛星エクスプローラー1号打上げ成功(1.27) *原子力潜水艦ノーチラス号、北極圏横断潜水航海に成功(8.8) *アラスカ、米国49番目の州に昇格 *ニクソン副大統領、南米カラカスで激しい反米デモに会う(5.13) *ド・ゴール、首相となり権限を強化 *ブリュッセル万国博 *ナセル訪ソ、フルシチョフと会見 *エジプト、シリア結束、アラブ連合共和国成立 *イラクで軍事クーデター、国王ファイサル二世、アブドゥル・イラー皇太子、ヌリーサイド首相ら殺害される(7.14) *米海兵隊、レバノンに上陸(7.15) *米第七艦隊、台湾、金門島への物資輸送船団を護衛(9.7) *フルシチョフ、西ベルリンの非武装自由都市化を提案(11.27) *ローマ教皇ピウス12世死去、新教皇ヨハネ23世選出 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1958年のイラク革命をはじめアメリカのレバノン出兵、イギリスのヨルダン進駐など中東情勢の緊張は極東アジアにも波及し、7月29日中国軍のミグ戦闘機と台湾に本拠を移した国民党軍の戦闘機が空中戦を交え、更に8月3日には中国大陸から僅か8キロの金門島の国民党軍基地を中国軍が砲撃するなど緊迫の度を加えました。この映像は金門島への物資輸送船団を護衛するアメリカ海軍の姿をとらえたものです。 | ||||||
| ||||||
| Vol. | アドレス | 分 秒 | 注 記 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 10 | 19:22:05〜19:23:40 | 01'35" | 良好/ナレーション、実況 | |||
| アジるカストロ、銃殺されるキューバ人(反革命?)キューバとソ連国旗、降り立つキューバ、カストロ首相、フルシチョフと抱き合う、壇上の両人CU、バチスタの顔CU、革命、蜂起、山岳で戦うキューバとゲバラ、ゲリラ達、地図、山岳のゲリラ達、カストロとデモ、成功後のカストロ、手をふるカストロ、演説するカストロ(肉声) | ||||||
| 10 | 19:26:10〜19:26:15 | 00'05" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 訪ソのカストロ―オープンカーのカストロ、フルシチョフ、ロシア人がフルシチョフとカストロの肖像画をもって歓迎 | ||||||
| 40 | 00:46:40〜00:48:50 | 02'10" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 作戦を練るカストロら幹部、カストロCU、ゲバラ、ゲリラ達(同VOL10)、銃を手にポーズのカストロ、ゲリラ達都市へ、米戦車占拠、カストロら、銃をもつ市民、革命成功、喜ぶ人々 国旗を手にお祭り気分の市民ら、バチスタ時代の物を打ち壊す市民、デモ | ||||||
|
41 | 00:09:15〜00:10:30 | 01'15" | 良好/ナレーション | ||
| 1959年1月ハバナ入城―政庁、戦車にのって喜ぶキューバ人、手をたたく人々、ゲリラ入城、カストロ、ゲバラ、カストロ演説 | ||||||
| 42 | 00:00:00〜00:02:30 | 02'30" | 良好/ナレーション英語 | |||
| カストロ、住民に説得、山岳ゲリラ、武器をつくる、山岳で無線、地下ラジオ放送、アジビラ印刷、作戦をねるカストロ、ゲバラ(同VOL40)、山岳での戦闘、山中をいくゲリラ、銃撃戦、狙うゲリラCU、砲撃、銃撃戦、カストロ銃を手に(同VOL40)バチスタ家族、カメラマンの前に、息子たちとバチスタ、息子CU | ||||||
| 55 | 01:58:56〜01:01:42 | 02'30" | 不鮮明/ナレーション英語/一部不良 | |||
| 港の情景、カストロ政府のポスター、ロシア語授業、キューバ兵男女夜間巡視、港、引き揚げる外国人 | ||||||
| 55 | 01:04:45〜01:05:41 | 00'56" | 良好/ナレーション英語 | |||
| カストロ、ソ連訪問、乗機と護衛の戦闘機、フルシチョフと抱擁、歓迎陣、オープンカーのカストロ、赤の広場で演説するカストロ(1963年4月) | ||||||
| 59 | 06:03:32〜06:05:44 | 02'22" | 良好/ナレーション英語 | |||
| 幕僚と作戦を練るカストロ、ハバナ空撮、首都入城、革命軍幹部、喜びの行進をするハバナ市民 | ||||||
| 59 | 06:05:55〜06:07:09 | 01'14" | 良好/ナレーション英語 | |||
| ハバナ入城のカストロら革命軍、カストロ演説 | ||||||
| 映像サンプルナレーション 1959年1月1日、キューバ大統領バチスタの独裁政権が崩壊、バチスタはドミニカに逃れキューバ革命が成就しました。この映像は1月8日、青年弁護士カストロの率いる革命軍のハバナ入城の様子です。カストロは1953年7月26日135人の同志と共にモンカダ兵営を襲撃、革命の狼煙をあげました。以後5年に亘る厳しい戦いを経てこの日を迎えたのです。 | ||||||
|